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〇〇すればよかったのに、は相手のやった事を否定してる

この記事ではいつも気になっていた会話のことを紐解いてみます。

母親世代と話していてモヤモヤする言葉

大変かなって思ってやっておいたことに対して「そんなわざわざしなくてもよかったのに」

よかったら使ってと渡したものに「そんな気遣わなくてもいいのに」

いつももらってるから…と買って帰ったら「お土産なんか買ってこなくていいよ」

誕生日、母の日にプレゼントすれば「そんなことにお金遣わなくて良いのに」

いつも否定される。よかれと思ってやったけど、受け止めてもらえなかった…。

母世代はなぜこんな言い方をするのだろう。素直にありがとうって言ってよ。

もくじ

やったことを否定されて傷ついていた

これ、ずっと自分がされてきて嫌だなと思っていたのに、まさか自分も同じことしていると気づいた時ゾッとしました。

例えば…夫が夜遅く帰って、疲れているのに食器を洗っておいてくれました。

でも、翌朝私は「そのままにしててくれてよかったのに」と伝えてしまっていた。
(仕事で疲れてるんだから早く寝てほしい気持ちがありました)

「ありがとう」だけ伝えればよかったのに。言われた夫はやったことを否定されてしまいました。

子どもに対しても似たようなことがありました。

ある日、幼稚園から帰るとこんな事を言っていました。

「友達が嫌なことしてきたけど、泣かなかった。先生にも言わなかったの。」

私はつい「嫌だったら先生に言ったらよかったのに!我慢してたの?」と何もかも否定した返事をしてしまいました。

息子はその後返事に困りだまってしまいました。

後から考えたら「そんなことがあったんだ、話してくれてありがとう。言わなくても我慢できるくらいの気持ちだったんだね」

それだけでよかったんじゃないかと思います。

事実を受け止める。そのまま受け止める。偉かったわけでも駄目だったわけでもないと思いました。

息子は褒めてほしかったのか?多分、事実を伝えたかっただけだと思うんです。

泣かないから偉いのか。我慢できるから偉いのか、強いのか、強いのが良いことなのか…?

親や大人が喜ぶことを良しとする風潮があるけれど、私はなるべくそうならないように…大人の顔色ばかり伺うようにはなってほしくないと感じています。

息子に起こった事実を、私が勝手にジャッジしたらそれが息子の基準になってしまうのではないか…

母が喜んだらそれを喜んでやるようになる。嬉しいことは良いけれど、自分で判断出来るよう、自分の軸を持ってほしいと思うと、子どもを支配してしまいそうで、怖くなります。なにごとも…ほどほどに…

他者との境界線は何本?

先日面白い話を聞きました。

【自分と相手の間には境界線が1本出はなくて2本あると考えてみたらどうだろう?】

もし、ズカズカと心の中に入ってこられても、境界線がもう1本あれば、自分を守れる。

冒頭にあった母世代からの言葉もきっと「よかれと思って言ってる」セリフなんだと思います。

私の受け止め方の問題で、それは私自身の課題。線をもう一本引いて考えたら、そこまで嫌な気持ちにもならないのかもしれない!と思いました。

母世代のセリフは戦後から続いている

私の母世代が生きてきた時代の「常識」を聞くと驚くことがたくさんあります。

電車で喫煙は当たり前だった。女は家で家事育児、男は外で働くだけでいい、残業は当たり前、寝ずに働くのが美学、お見合いで一番喜ばれるのは専業主婦、嫁に行ったら家事は嫁の仕事。

ごく一部聞くだけでも、そんな中で生きるなんて嫌だ…と思ってしまう状況でした。

でもそこで「自分」を押し殺し「耐えてきた」人たちが今の母親世代。

そう考えると、それを見て育った私は、同じことを繰り返さないよう、理解し変えていきたいと思いました。

自分が感じる「違和感」を紐解くと自分が変わりたいと思っている事、どうなりたいのかが見えて来るんだなと。

新たな気づきを得た私は、今日もまた自分と向き合っていきます。

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